獲った魚を“活かしこむ”

延長約66kmにもおよぶ弓状の海岸線が美しい九十九里浜。江戸時代から漁業が盛んで、現在は特にハマグリの名産地として知られています。遠藤勝信さんは、父が立ち上げた「不動丸」を守り、業容を広げてきました。作業場には大きな生け簀が並び、ハマグリやイセエビが放たれていました。遠藤さんがハマグリを手に取ると、薄桃色の舌がにゅるっと出たり入ったり。

全部が全部活かしこみと神経抜きをすればいいっていうものでもない

不動丸はハマグリ漁と刺し網漁を行っています。獲れた海産物は生け簀に移して生かしておくそう。「刺し網で揚がった魚は、海から船上に出されて興奮状態。これを生け簀で“活かしこむ”とストレスが緩和され、体力が回復して、ぐっと状態が良くなります」。種類に合わせて生け簀の水温を調節し、より品質の良い状態になったら、神経抜きを施して出荷。神経抜きは、神経を破壊して鮮度とおいしさを保つ処理です。「全部が全部活かしこみと神経抜きをすればいいっていうものでもない。方程式はないんです。個体ごとの状態、お客様のリクエストに合わせて、そのとき最適な手当てをして出します」。まさに不動丸はオーダーメイドの魚屋です。

震災、父の引退、不動丸を背負う責任

最初は本当に嫌だった

高校卒業後すぐ不動丸へ入り、漁師になった遠藤さん。車にも船にも酔いやすい体質で「吐いて吐いて喉が焼け付くように痛んで…最初は本当に嫌だった」と振り返ります。「親父は厳しい人。辞めていいと言わなかったし俺も逃げなかった、いや逃げるのも怖かったのかも」。食らいつくように修行を重ね、体質も克服し漁の醍醐味が分かりかけた頃、25歳で「船を渡され」、船頭になりました。多くの魚が揚がり、獲れた魚介をそのまま出荷することで十分に利益が上がる時代でした。

転機は2011年。東日本大震災の津波はここにも押し寄せ、船2隻が損傷、トラックと漁具は流出し自宅も被害を受けました。復旧作業の際に腰を痛めた父は、回復がままならず引退を余儀なくされます。遠藤さんは不動丸を一人で背負う覚悟を決めました。

事業の未来を考えて自分が獲った魚を自分で売りたいと考えた遠藤さんは、さまざまな勉強会や交流会に参加して人脈構築と情報収集を行いました。縁が縁を呼び、飲食店向けに旬の鮮魚を発送する「鮮魚ボックス」をスタート。当初は血抜き処理のみでしたが、神経抜きを施すと食べたときの味が格段に違うことが分かり勉強を始めます。

知れば知るほど奥深く、名人がいると聞けば遠方まで教えを請いに出向き、腕を磨きました。遠藤さんの魚は飲食店からも、その店のお客さんからも高く評価されるようになっていきました。2019年からは漁師の直販サイトに登録し、一般客向けの通販事業も開始しました。

今ある資源にいかに価値づけするか

「海が変わった」「魚が獲れなくなった」「もう漁師を続けられない」。ここ数年悲観的な声を耳にすることが増えました。しかし遠藤さんは少し違います。「昔の漁は獲ってなんぼだったが、これからは今ある資源をいかに大切に活かすか、どう未来へ残すかが問われている」。そう話す表情は明るく見えます。「どれだけ多く獲るか」から「どう価値を付けるか」へシフトする時代が来た、そして遠藤さんは先んじてすでに一歩踏み出していたのです。

これからは従来手掛けていた冷凍以外の加工品も生み出していく計画。「だけどな、加工場で仕事してると海に出たくてムズムズする。やっぱり現場がいいんだわ」と笑います。20年以上船頭を務めていても、今日は完ぺきだったって漁は一度もない。潮を読み先を読んで構想して積みきれないほど獲れた日でさえこう思うそう。

あのときああしていれば、もっと獲れたなって思う。
一生、ゴールはないよ。

愛してやまない不動丸の係留所へ連れていってもらいました。ひょい、ひょいと跳ねるように舳先に立つ姿は一回り大きく見え、最初は嫌がっていた撮影にもにっこり応じてくれます。やっぱりこの人は、海の男。