震災から8年かかって本格再稼働
宮城県南三陸町で銀鮭、帆立、牡蠣、鯖、たこ、鮭など豊富な海産物を扱う株式会社丸荒。創業当時はスーパーの一角に鮮魚コーナーを持ち、漁師さんから買い入れた鮮度抜群の海産物を並べるなど、鮮魚の扱いが中心でした。二代目にバトンが渡ると水産加工が事業に加わり、時代のニーズに合わせた水産加工品が増えるとともに会社の規模も急成長。及川才毅さんは、創業者である祖父、そして父親の背中を見て育ちました。
とりあえず工場がひとつ動いてるから。
2011年、東日本大震災が発生し、海沿いにある5つの工場のうち4箇所が津波に流されました。電気も水も止まる中、ひとつ残った工場を掃除することからはじめ、5月のわかめの収穫に間に合わせたといいます。一方、4つの工場の跡地は街の防潮堤工事の計画地となり、再建の目処が立たないという事態に。
父は近いような遠いような特別な存在
震災当時、及川さんは中学生。工場の再建にも着手できず八方塞がりとなった父親が、取り組んでいたのは「南三陸の復興」でした。南三陸の水産業を立て直すために、街や地域、同業者の応援に奔走。周囲は事業を再開する中、焦る気持ちもあるでしょうに、そんな様子を感じさせることなく8年間走り続けた父親の姿に、当時はただただ忙しそう、という印象でした。
自分には思いつかない。父は視野が広すぎますね。
及川さんが大学生になって南三陸を離れたある日、父親からスマホにバウムクーヘンの写真が送られてきました。「え、なに?どこの?」と返したら、うちでつくり始めたって。「当時は学生目線ですし、大丈夫かな?って思いましたね。」と笑う及川さん。若者の南三陸離れを防ごうと新たに製菓事業を立ち上げたという経緯や、8年間も街の復興を支えてきたことなど、自身の成長とともに父親の偉大さに気付かされていくのでした。
おのずと伝承されてきたポリシー
震災後8年かかって本格的に再稼働した丸荒は、世の中も海の様子も以前と変わっていたため高級路線へと舵を切りました。南三陸の質の良い海産物を適正な価格で仕入れ、丁寧な加工をしてお客さまへ届けます。南三陸の水産加工会社がまとまって仙台駅や空港などへ販売会に出向くこともあり、お客さんの中にはリピーターの方もいて、直接お会いできるときが嬉しいと言う及川さん。
漁師さんも、従業員さんも、同業者も、取引先の方々も、
みんな繋がっているから。
将来について聞いてみると、「うちの商品を守るというより、この土地や人ですね。」と。丸荒が大切にする「共存共栄」の思いが、及川さんの優しい口調で語られました。
