子どもの頃のあだ名は「いかかば」

茨城県日立市で魚屋の息子として育った小松伸克さん。小松水産はアイディアマンの父親が手掛けたイカの蒲焼「いかかば」が大ヒットし、荷受問屋としても高い評価を受けていました。友達からは看板商品の「いかかば」と呼ばれていた少年時代、小松水産の息子として周囲の期待も集まる中、魚屋なんて継ぎたくないという本音と海外への興味を抱いていました。

ビシッとスーツを着て空港を闊歩するような大人になりたくて。

大学は英文科に進み、営業職を経験したり、事業を立ち上げてみるもなかなか思うようにいかず、小松さんは実家に戻ることを決意します。ちょうど、しらすが豊漁で小松水産は大きな設備を導入してしらすの加工を始めた時期でした。やがて、しらすの資源が枯渇しはじめ、海外のしらすを扱うようになると、小松さんのアンテナが反応します。中国・台湾・タイ・マレーシア、しらすが暖流にのってやってくる国すべてを視察しました。

海外進出で気づけた人間らしさ

現地ではきれいなしらすが大量に揚がる一方、加工技術のレベルは低く、「うちの技術ならもっと良い商品ができる!」と確信した小松さん。帰国から半年後にはタイに進出します。小さな事務所でスタートした海外拠点。工場を拡大する際には地域住民からの反対にあうなど、全てが思い描いたとおりには進みません。

同じ目線で、同じ言葉で、同じものを食べる。

タイでの仕事を続ける中で、小松さんはあることに気づきます。現地の人は高く買ってくれることも大切だけど、やっぱり喜んで買ってくれる相手に渡したいはず。こちらの立場が上で、高く買いさえすれば良い、というこれまでの奢った態度を顧みたのでした。英語で押し通すのではなくタイ語を学び、スーツから作業着に着替え、床に座って現地の料理を一緒に食べる。こうして、現地の方々と心を通わせることで事業もスムーズにまわりはじめ、現在では収益から現地の学校に学用品を寄付する活動にも取り組んでいます。

自分の経験を次世代に伝えたい

小松水産はタイをはじめ、マレーシア、ドバイ、エストニアと海外拠点が増えていき、気づけば小松さんは子どもの頃に夢見た「世界を股にかけるビジネスマン」になっていました。近年、夢中で取り組んできた海外事業について話を聞かせて欲しいと言われることが増え、小松さんは次なるステージを迎えています。

日本人だからこそ、地球規模でできることがある。

これまでに歩んできた道は決して平坦ではなく、失敗したり、軌道修正したり、時間をかけて挑戦を続けてきた小松さん。若い経営者たちに自分の経験を惜しみなく伝える場を主催しています。「人を輝かせる舞台をつくって、アクター&アクトレスを世に送り出すのがこれからの仕事です。」今まではスポットライトを浴びたかったという小松さんが、舞台袖から新たなスターの誕生を見守ります。