歩みを止めなかった親子の再起
宮城県南部・名取市閖上。東日本大震災で街は一面さら地になりましたが、盛り土による新しい市街地がいま再び人の営みを取り戻しています。株式会社センシン食品の工場も、その再生の一角にあります。同社は三陸・常盤産の海産物を使った委託加工やOEM加工を柱にした水産加工会社です。
何とかしなければ。
専務の高橋大善さんの家業は、福島県相馬市・原釜港のそばで父が創業した加工場。鮮度とアイデア勝負の商品づくりで、飲食店や量販店に提案を重ねてきました。しかし震災で工場は全壊。さらに原発事故の影響で原釜港は操業再開の見通しすら立たず、販路もすべて失われました。しかし震災で工場は全壊。さらに原発事故の影響で原釜港は操業再開の見通しすら立たず、販路もすべて失われました。
仙台で仕入れた魚を朝市で売り、奇跡的に残った知人の工場を借りて県外産の海産物で加工を続ける。風評被害にも苦しみながら、それでも仕事を絶やさなかった父の背中を、高橋さんは忘れません。
名取・閖上での再出発
そ転機は、名取市閖上での再建の話がまとまったこと。2016年、ようやく自社工場を持つことができました。しかし状況は「マイナスからのスタート」。震災前の5分の1まで落ちた売り上げ、戻らない取引先、知らない浜での仕入れ──すべてをやり直す覚悟が必要でした。
気合と根性で、販路を拾い直す日々。
原釜時代は“浜”に合わせて商品をつくれば自然と売れましたが、名取では市場ニーズありきの“マーケットイン”へ発想を転換。委託加工、通販、自社ブランド、業務用冷凍加工とビジネスを大胆に再構築し、少しずつ顧客を取り戻していきました。2022年には商業施設内に飲食店もオープン。再起は確かな輪郭を帯び始めます。
バンドマンから水産業で見る夢
自分が帰るべきじゃないかと思いました。
実は高橋さんは元バンドマン。高校卒業後に上京して音楽の専門学校へ進学し、卒業後はプロを目指して活動に没頭しました。震災が起きたのはちょうどその頃。二年間ほどバンド一本で走りきり、一区切りを感じ始めていた時期でもありました。そんななか、福島では両親が風評被害と向き合い続けている。家族の状況を思うと、胸の中にわだかまりのようなものが残り、それが帰郷への決断につながりました。
その後の奮闘ぶりは前述の通り。動画「お魚のある生活チャンネル」の配信も始め、シメサバの作り方や大きなタラのさばき方など魚屋ならではの内容は、主婦層だけでなく釣り人の心もつかみました。
自信を持って出せる商品が、やっとできた。
新商品として取り組んだのが宮城県産銀ザケのフレーク。脂のりの良さとしっとり感を生かし、保存料・化学調味料ゼロで仕上げた自信作です。通常は劣化しやすい端材も、冷解凍回数を1.5〜2回に抑え品質をキープしています。
“先にやる”より“新しいことをやる”人が勝つ。
35歳という若さで舵を握る高橋さんが見据えるのは、「関わる人みんなが豊かになる水産ビジネス」。漁業者、加工業者、買い手、地域──そのすべてのハブとなり、新たな価値を生む存在を目指しています。「水産業は課題だらけ。でも変数が多いからこそ、一発逆転を狙える業界。新しいことに挑む価値があります」。 ロックな精神で未来を切り拓く若き専務。次の一手は、もう鳴り始めているのかもしれません。
