給食を残さないで食べるのが一番嬉しい

岩手県釜石市。港町の空気を少しだけ内陸に引き込んだような場所に、株式会社津田商店の食品工場があります。創業は昭和8年。はじまりは、この町で揚がった魚を売り、船の世話をしながら商いを続けた小さな魚屋でした。やがて加工へ軸足を移し、学校給食が全国へ広がっていく歴史と並走するように、津田商店も「子どもたちの一食」を支える会社になっていきました。

いま津田商店の主力は、全国の学校給食向け冷凍食品と、小売店で並ぶOEMの水産缶詰。いわし、さば、さんまなどを原料に、毎日の献立に“ちゃんと合う魚”をつくり続けています。派手なメニューではありません。けれど、毎日出せること、毎日同じ品質で届くことは、実は一番難しい。給食に求められるのは、安心できる味と安定供給、そして価格。その条件を、何十年も崩さず積み上げてきた会社です。

給食メニューばかりだと飽きるのでお弁当です。

この会社をいま率いているのが、5代目社長の小笠原正勝さんです。意外かもしれませんが、小笠原さんは創業家の親族ではありません。約30年前に入社し、工場勤務やトラックの運転など、現場の仕事を経て社長になりました。缶詰のラインで長く過ごしてきたからこそ、言葉が現場に近い。工場は朝7時から動くため、小笠原さんは7時半には出社し、昔からの習慣で早めに現場へ顔を出すと言います。

会社を止めないための判断が続く日々

最大の壁は、東日本大震災でした。震災前、工場は隣町・大槌町の港の岸壁にあり、津波の直撃を受けて全壊。仕事は止まり、「次」を探すところからの再出発になります。それでも津田商店は、2012年4月、現在の場所に本社兼食品工場を建て、1年あまりで製造を再開しました。タイミングを逃せば資材も費用も膨らむ。止まったら戻れない。その感覚が、会社を動かしました。

全国の子どもたちから
励ましの手紙をたくさんいただいたんです。

当時、従業員は200人ほど。一般社員は復旧作業にあたり、現場を支えてきたパートの女性たちは、一度雇用を解除せざるを得なかったといいます。「復旧したらもう一度お願いします」——そう伝え、1年間待ってもらった。生活がある。離散してしまう不安もあった。それでも、多くの人が戻ってきてくれました。戻ってきた手が、震災前と同等の味を再現し、給食の現場へ戻っていったのです。

震災を越えた先で、次に訪れたのがコロナ禍でした。緊急事態宣言で学校が休校になり、給食向けの出荷が止まる。給食に特化してきた会社にとって、これは再びの直撃です。作り続ければ在庫が溢れる。いつ製造を止めるか。小笠原さんは早い段階から準備を進め、限界が来る前にスパッと止める判断をしました。

一方で、津田商店にはもう一つの柱がありました。缶詰などの一般市販品です。コロナ禍の巣ごもり需要で、そちらが逆に動いた。給食のラインが止まる中、従業員を缶詰の生産ラインへ投入し、増産で対応する。結果として「両輪だったことが功を奏した」。震災もコロナも、この会社にとっては止まらないための判断を重ねる時間でした。

子ども向けの実績を家庭へ持ち帰る

コロナ禍は、津田商店に次の一手を考えさせました。家庭向け商品の本格化です。理由は「忙しい家庭が増えたから」だけではありません。小笠原さんが真っ先に挙げたのは、少子化でした。子どもが減れば、給食を食べる人数も減る。ならば、給食以外の販路を持たなければならない。そのとき軸になったのが、長年積み重ねてきた給食での実績でした

実績があるから家庭にも展開できると思った。

開発の土台にしたのは、現場の声と栄養士の先生方の視点です。給食の現場で交わしてきた「こういうものが欲しい」という会話をすくい上げ、家庭用に翻訳していく。そうして生まれたのが「子どもようおさかなさん」でした。温めるだけで食べられる手軽さに加え、魚が食卓から消えない形をつくることを目指しています。

さらに野菜を前面に出したのも、家庭の実情を見た判断でした。給食では分けて調理される魚と野菜も、家庭では一緒のほうが助かる。別に用意しなくて済む、その一手間を減らす。生活の段差を埋める発想が、そのまま商品になっています。

匂いで分かる現場が未来をつくる

取材中、外へ移動したときにふっと漂った焼き魚の匂いに、「いい匂いがしますね」と声をかけると、小笠原さんは即座に返しました。「サンマの蒲焼の缶詰の匂いですね」。現場の人の反射神経は、こういうところに出る。

一番好きな缶詰は「美味しいサバ缶」。脂が乗ったサバ缶は本当に美味しい。けれど最近は、そういう魚がなかなか揚がらない。釜石の漁獲はほぼゼロと言っていいほど減り、原料は全国や海外から仕入れる。価格は高騰し、サバ缶ブームが去ったあとの缶詰業界は「冬の時代」だとも言われています。だからこそ、冷凍食品の需要が高まる今に合わせて、給食も家庭も含めた次の柱を育てていく必要がある。

給食の世界には「1県1業者」といった独特の壁もあります。販路は広げたい。でも闇雲には広げられない。エリアを絞り、慎重に、信頼を崩さないように進める。津田商店の仕事は、いつも派手に勝つより、崩れず続くほうへ舵が切られているように見えます。