家業の厳しさを肌で感じた子ども時代

東北新幹線の車内販売でお馴染みのおつまみ「ほや酔明」。水月堂物産株式会社の看板商品ほや酔明は、東北新幹線開通と同時に発売された乾燥珍味です。代表取締役阿部壮達さんの父親が名付けた「酔明」には、「酔うと気分が明るくなる」「夜が明けるまで酔う」という意味が込められています。

こういうふうにはなりたくないな。

子どもの頃は、牡蠣の卸業が中心で仕事場でも家でも頻繁に口論している両親の姿に、自分は同じ仕事はやりたくないと思っていたという阿部さん。そのような思いを抱いて育ったため、父親の手掛ける商品が新幹線で売られていることに胸を張るどころか自分には関係ない、そんな感覚でした。東京の大学を出て組織コンサル系の会社に就職。会社を辞めて独立するか迷ったときに、水月堂でリアルな経営を学ぼうと思い立ちます。社長にお願いに上がるも、会社のためじゃなくて自分が勉強したいだけだから・・という本音とプライドの高さが伝わるのか、「あ、そう。別にいいけど。」そっけない返答。そこから阿部さんの下積み時代が始まりました。

父の偉大さを思い知る

給料泥棒にならないよう、なんとか売り上げを立てたいと必死の阿部さん。首都圏での販売の機会をつくろうと決めると、社長からは「やればいい。とくに売上以外は期待してないから。」またしてもそっけない返答。営業をしながら自社商品のことを学びはじめた矢先、東日本大震災が起きました。会社を畳むことも頭によぎる中、「やりたい」という社長の思いに応え、阿部さんは復興関係の書類作成を引き受け、再開に向けて動き出しました。書類作成には自信があったし、父親の苦手な部分を引き受けるという立場にも、みなぎるものがありました。

いくら書類が作れても、金がないと事業は回せない。

卸売りや加工業は、原料を仕入れてはじめて仕事ができます。ある時、韓国に輸出し、保管されている宮城県産の冷凍のむきほやがありました。それを一気に買い戻してくる取引先があり、そこから「冷凍むきほや20トン、買う?」と聞かれ、「買うよ、全部ちょうだい。」と答える父の姿に衝撃を受けました。当時はどう考えても厳しい資金状況で、「え?どういうこと?」阿部さんは理解に苦しみます。すると、そこから銀行へ向かうのでした。銀行に対しても「え?貸すの?」と思ったという阿部さん。そこには、長年かけて積み上げてきた大きな信用があったのです。どんなに書類作成ができても、自分にはそれはできない。はじめて「自分は親父よりも圧倒的に力がないんだ」と受け入れることができた瞬間でした。

ようやく訪れた雪解け

以降、阿部さんは口ごたえをやめてすべてに対して「はい」と言い、黙って従うことに。口数の少ない父の考えを知ることから再びはじめよう。すると、少しずつ関係が変わっていきました。

社長、お供させてください。

父親が仲の良い魚屋さんと飲みに行くタイミングを逃さず、すっと同席するようになりました。父親と魚屋さんとの会話を聞いて学ぶのです。そして、親子の関係が緩み始めてしばらく、「社長やれば。」そっけない提案を受けます。そっけない言葉ながら、かつてとは確実に違う温度がありました。今では、「ほや酔明」という看板商品を残してくれた両親に感謝の気持ちと敬意を抱き、阿部さんはこれからも水月堂を守り続けます。